top of page

​先生からのメッセージ

 筑波大の前身の東京教育大学理学部に1960年に入学してボート部に入部しました。1961年春には3艘のボートに20名で分乗し、東京から江戸川を漕いで利根運河の宿に泊まり、利根川を下流へ、利根川河口の銚子の船宿まで、往復1週間で300kmほどを漕ぎました。

 びっくりしたのは、利根川の真ん中になんと浅瀬があちらこちらに。浅瀬に座礁して、冷たい水に入ってボートを引きました。その後の私のために貴重な体験でした。

 翌年の春には佐原から運河を通って霞ヶ浦へ。忘れらないのは、ボートに驚いて飛び上がる魚(ボラ)がたくさんいたこと。ボラを手でさっ!とボートの中へ何匹も落として湖岸の砂浜で焼いて皆で食べました。20名の中でボラをつかまえたのは私だけでしたから楽しかった思い出です。水がきれいで、湖水浴場があちらこちらにあったのが当時の霞ヶ浦でした。

 その霞ヶ浦がどのようにしてできたのか。どうして今は泳げない湖になってしまったか。

東京教育大の大学院で川の浅瀬がなぜできるのかを研究して、筑波大の教員になって、地形学を研究し続けた私。地形を見る目を磨こうという実験観察会や現地見学会(ジオツアー)を続けています。地形を見る目を実験で磨きましょう。明日のために!

bottom of page